「Marine Border Parasol」の歌詞を考察する。

(劇場版「ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over The Rainbow」に関するネタバレが含まれます!ご注意ください。)

 

 

こんにちは。こりと申します。

今回は表題の通り、Aqours「Marine Border Parasol」の歌詞を考察していきます。  

 

個人的には5thライブでこの楽曲を一番楽しみにしています。

 

 

目次です。

 

 

Aqours「Marine Border Parasol」とは

「Marine Border Parasol」とは、2019年1月4日公開の劇場版「ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over The Rainbow」のセブンイレブン・セブンネット限定CD付前売券収録曲です。

 

前売券の付録でしたので、劇場公開以降は正規の入手手段がありませんでしたが、特装限定版BDの特典としてセブンネットで再び手に入るようです!

 

 

この楽曲は、Aqoursの2年生組である高海千歌 (CV. 伊波杏樹) 、桜内梨子 (CV. 逢田梨香子) 、渡辺曜 (CV. 斉藤朱夏) の3人による歌唱で、こちらからショートバージョンが試聴できます:

 

www.youtube.com

 メロディーが素敵ですよね...!

泣かせるギターリフや、3人の心情を表すようなベースラインが印象的です。

 

 

歌詞の考察

では早速歌詞を見ていきましょう。

色はそれぞれ千歌梨子でパート分けを表します (3人のパートは太黒字です) 。パート分けは

「Marine Border Parasol」フル パート分け歌詞 感想: ラブライ部員の日常 ロバの耳

さまを倣いました。

 

 

悩みなきひとはいない

水の中 ゆれる太陽

梨子ちゃんの歌い出しです。

イントロでは全楽器が盛り上げていましたが、ここはシンプルにDr, Key, Wcのみ。

つまり作り手が「歌詞を聴いて欲しい」と思っているところです。

さらにウィンドチャイムのキラキラした音が情景を豊かにしますね。

 

梨子ちゃんが抱えていた「悩み」といえば、特技のピアノにおけるスランプでしょう (テレビアニメ1期2話) 。スランプを脱するため、梨子は千歌の提案に乗って「海の音」を聞こうと、曜を含め3人で内浦の海にダイビングしたのでした。

 

あいにくの曇りで景色は真っ暗、「海の音」のイメージは掴めず。

それでも3人は諦めずに再び潜りました。

そしてその瞬間は訪れます。

 

雲の切れ間から顔を出した太陽が、海の中を明るく照らす。

千歌と曜の指差す先には、キラキラとゆれる水面がありました。

その光景に胸を打たれ、梨子の耳にはメロディが流れます。

ついに3人は「海の音」を共有したのでした。

 

 今気付きましたが、「海の音」って「海に還るもの」「想いよひとつになれ」のメロディなんですね。

 

この時見たキラキラとゆれる水面こそ、「水の中 ゆれる太陽」であり、「Marine Border Parasol」の解釈の1つです。

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アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』1期2話より引用。3人は光の中で「海の音」を聴いた。

説明をさせてください。

Parasol (パラソル) はご存知の通り日傘のことで、「para (~を妨げる) + sol (太陽) 」=「太陽を妨げるもの」という意味です。つまり物の順番としては「太陽→パラソル (水面) →人」となるわけです。

Borderは横縞模様ですが、ボーダーパラソルは同心円状の縞模様を指します。上の画像を見て頂ければわかるように、水面は太陽を中心に何重も、明るさを変えて揺らめくMarine Border Parasolなのです。

 この解釈は、こちらのツイートからヒントを得ました。

 

 

一方で、「水の中 ゆれる太陽」は海中からではなく陸上から、「海面に反射する太陽」として見ることもできます。続く千歌ちゃんの歌詞はむしろ「反射する太陽」を歌っているようです。

つかまえたつもりでも

キラキラこぼれてしまう

水面に映った太陽は掬おうとしても零れてしまいます*1

 千歌ちゃんがこぼした「太陽」とは「廃校の阻止」という夢をはじめとした、Aqoursが味わってきた数々の挫折と捉えることができます。 

「海中から見たキラキラゆれる水面」「海面に反射した太陽」、いずれにせよ「太陽そのものではない」ことがポイントです。掴めそうで掴めない儚さがあります。

ところで「キラキラ こぼれてしまう」と言えば、2期のOP映像の冒頭を思い出した方も多いはず。千歌の手元に舞い降りた輝きは、掴む前にキラキラと崩れて消えてしまいました。

 

 

 

Aメロが進むにつれ豊かになっていく楽器隊も、Bメロで一旦しっとりと。 

 

 

カモメの鳴き声のSEが印象的です。

Aqoursにとって「岬」といえば、浦の星女学院のある長井崎ですね。次に気付くのは、「私達の今いる場所は岬ではないどこか」だということ。これは、浦の星 (9人のAqours) から次のステージ、次の視座に進んでいることのように思えます。

では、飛んでくカモメとは何を指すのか*2。一旦歌詞を進めましょう。

 

マリンカラーの絵になって

マリンカラーは もちろん「海の青」です。これに対比するように、白いカモメは「空の青」の中にて見えなくなる。

 

 

突然ですが、

 

白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ』という短歌をご存知でしょうか。

詠み人は若山牧水という、晩年を沼津で過ごした著名な歌人です。この歌を国語の教科書で見た方も多いはずです。ここでいう「白鳥」はハクチョウではなくカモメなど海の白い鳥を指すようです。さらに「空の青」「海のあを」と「白鳥」の対比。

 

Marine Border ParasolのBメロが、若山牧水のオマージュに思えてならないのです。

 

沼津の高校生が、市にゆかりのある牧水と『白鳥は』を知らないはずがありません (要出典)。

曜ちゃんの歌う「マリンカラーの絵」とは、「白鳥」「空の青」「海のあを」へのAqoursなりの見立てであり、『白鳥は』に対するアンサーなのです。

 

白鳥は』は沼津に移住するより以前の作のようで、牧水がどこの風景に感化されてこれを詠んだのかは判りませんでした。

「WATER BLUE NEW WORLD」は私の最も愛するAqoursの楽曲ですが、こちらのモチーフは「白鳥 (ハクチョウ) の湖」のようですね。 

 

このように比較すると、二作品において対照的な点は「」と「染まずただよふ」というカモメの見立てでしょう。

 

牧水は「哀しからずや (哀しくないのだろうか) 」と、青い景色の中で染まらずに漂う白いカモメの孤独を詠いました。

一方のAqoursは、空に溶けさせることでカモメを孤独にさせず、飛び立つことに肯定的な意味を与えたと考えられます。

  

自由ってこういうコトさ

すると、曜ちゃんの言及する「自由」とは、未来や可能性という空への期待に満ちた羽ばたきだと考えられます。

 

 

さて、このような見立てをする中で解釈が深まりました。

 

 

 

」とはAqoursの9人のことである。浦の星を離れた彼女達は、岬より向こう、その先の、無限の可能性をもった未来という「ちゃうまで飛んで行く。

 

牧水が歌ったような「飛び立つカモメの孤独」なんてない

 

それは「浦の星 = 9人のAqours」を越えて、次の輝きを目指す新しいAqoursの姿 (+それぞれの道へ進む3年生達) を指しているようです。Aqoursの新しい一歩を描いた劇場版のメッセージはまさにこれで、彼女達は孤独ではなく、それぞれの存在を背に感じながら挑戦し続けるのです。

  

 

アニメ2期12話では、千歌ちゃんの「ラブライブ!、勝ちたい?」という問いかけに対し、曜ちゃんはこう答えました。  

もちろん。やっと一緒に出来たことだもん

だからいいんだよ、いつもの千歌ちゃんで

未来のことに臆病にならなくて、いいんだよ

1人じゃないよ!千歌ちゃんは! 

さらに3年生組もこのように話しています。

ずっと一緒、って

そうかな

もうすぐばらばらになっちゃうのに

一緒だよ!だって、この空は繋がってるよ

どんなに遠くても、ずっと、いつでも

姿は見えなくても

未来という青い空は、9羽のカモメを拒まず受け入れてくれる。

すーっと溶けたカモメ達は離れ離れではなく、この空で繋がっている。

 

劇場版でも、千歌ちゃんが校門を閉じるシーンでのセリフや、9羽のカモメが空へ消えていく印象的なシーンも思い起こされますね。

 

英語で「自由」はfreedomとlibertyの2通りあります。ここで歌われた「自由」 は、自分で掴み取る能動的な自由を表す「liberty」のほうだと考えられます。libertyを歌った印象的なAqours楽曲が「Hop? Stop? Nonstop!」で、「しっかり自分でつかまなきゃ それには自由なツバサで Fly away!!」なのです。しかも、奇しくもこのパートを歌うのが2年生組...!!

 

 

 

さて歌詞に戻りましょう。サビに向け、リズム隊が高まっていきます。

サビは3人で楽しげに歌い上げられています。

 

パラソル 海辺の道は いつも変わらないけれど

僕らの夢の色は 変わってくと気が付いた

 

「いつも変わらない」「海辺の道」という対比が綺麗ですね。。。

「パラソル」は「夏」、または、再び登場のぶろっくさんがおっしゃるよう「晴れ」ていることの象徴です。

https://k-block.hatenablog.com/entry/marine-border-parasol-proto#3なぜParasolなのか

ラブライブにおける「夏」とは「スクールアイドルとしての、限られた時間」を指します。「夏」に見たは、「Aqoursとして全力で輝きたい!」という願いです。

 

夢は、時が経てば変わっていく。夏のあとには、必ず別れがあります。

 

そんな人と人の出会いで紡がれる季節に対して、「いつも変わらない」「海辺の道」とは何を指しているのでしょう。

 

 

 

ここで1冊の短編同人小説を紹介させてください。雨露山鳥さんの『もうAqoursはいない』は、ラブライブ!サンシャイン!!終わりを迎えた数年後、内浦へと帰る「黒澤ダイヤ」さんを主人公とした物語です。「聖地」としての賑わいが収まった西伊豆の雄」沼津を描く少々ビターな小説です。経済に注目すれば数年数十年で街は変わりうる。さらに、文人たちの休暇地となった明治以降たまたま襲っていないだけで、内浦をはじめとした伊豆半島各地には数多くの津波の歴史が残されています*3。100年もすれば津波で、内浦の様子は物理的にも変わってしまうでしょう*4。いずれも9人のAqoursでいられる1年間より長いあいだ変わらずにあることと思いますが。

 

しかし、「海辺の道」とはそのようなものではない。

 

「いつも変わらない」って、(まったくの言葉通りに捉える必要もないのですが、) 非常に強く、そして掴みどころのない言葉です。

 

 季節が、街が、地形が変わっても「変わらないもの」、言葉に表しにくいそれを、「海辺の道」と呼んでいるのだと私は思います。

 

 

 

パラソル 楽しく遊んで

じゃあねって 次の季節へと

 

「楽しく遊んで」は、文字通りに捉えるより、辛苦も味わいながら輝きを追い求めたことだと捉えました。それらを「楽しく遊んで」と歌える2年生ちゃんの成長が垣間見られます。

 

 

スクールアイドルとして活動した「夏」の次は秋がやってきます。

 

 

繰り返しになりますが、サビは「3人で楽しげに」歌い上げられています。

「僕らの夢の色は 変わってくと気が付いた」も「じゃあねって 次の季節へと」も、楽しげに、なのです。

 

どこでまた会えるかは

潮風が知ってる

 

仲間との限られた時間、そして必ず訪れる別れを、これほどにも肯定的に認められるのはなぜでしょうか。 2番で改めて解説・紹介する予定ですが、諸行無常を受け入れているためだと考えられます。

 

すべてのものは時と共に移り変わりゆく、だからどうでもいい。そんなわけはありません。移りゆくからこそ、「今という時間を大切にする」。

 

 

「潮風が知ってる」「必ず、この街でまた会える」ではなく、「そんなことは分からない。今はただ、前に進もう。」

 

 

これが諸行無常のエッセンスであり、ラブライブ!サンシャイン!! なのです。ラブライブサンシャインは宗教

 

「潮風」というワードに注目しても面白いもので、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とも言うように、諸行無常*5、潮風も変わっていくものです。1番サビでは「海辺の道」の静、「僕らの夢」「潮風」の動が対比されています。

 

 

 

 

 

 

 

 では2番に行きましょう。曜ちゃんの歌い出しです。

サンダルを手に持って

冷たい砂踏んでいると

焼けそうな暑い日が

懐かしい気がしてるよ

一息にAメロを紹介しました。

 

暑い夏が終わったあとの情景ですね。サンダルをまだ履いていることを思うと秋口でしょうか。

焼けそうな暑い日 ( =夏 ) 」と「冷たい砂 ( ="次の季節") 」が対比されています。

 

単に懐かしいでなく「懐かしい気がしてるよ」と表現していることから推察されるのは、夏を懐かしむつもりでサンダルを脱いでみたわけではないこと。そうして不意に知った砂の冷たさから、ああ、夏は終わってしまったのだと気付く。

 

学校を卒業して新たな生活が始まり、気持ちを割り切って過ごしていたある日、ふと以前の学校や仲間達のことを思い出して寂しく思うようなそんな感情が当てはまるのかなと思います。

だとすれば、サンダルを脱いでみることに明確な意図はなく、「癖づいていたから」とか「なんとなく」とか無意識のものだったのでしょう。不意だったからこそ、胸に流れ込んできた懐かしさに対して不安と、一種の安心がある。それこそが「気がしてるよ」の正体です。

 

 

不安と安心があるのは、"次の季節" を迎える孤独を、一度は頭で理解し乗り越えているからです。続くBメロはまさにこれです。

 

これが終わりじゃないと

違う夏がくるね

これが終わりじゃない。 夏はまたくる、違う夏がくる。

強い意志を感じさせる言葉ですね。

彼女達はスクールアイドルとしての1年間で、たくさんのことを学び、成長してきました。

畑亜貴先生は「電撃G'sマガジン号外 ラブライブ! サンシャイン!! Aqours Winter Special 2018」のインタビューで、

"手放したものはもう返らない" それが3人も薄々わかっている状態を書いています。たとえば、海の家でおいしくかき氷を食べたとしても、来年この店があるかわからない。あれ?去年みんなで遊んでいた場所がなくなっちゃった。......ということを知っているくらい、みんな大人になったんです。

と語っています。

 

彼女達は知ったのです。

夏はいつか終わること、また夏がくること、そして同じ夏はないことを。

3人は言わば諸行無常の境地に辿り着いたのです*6

 

 

 ここの「」という主語は「3人」「9人」どちらで考えてもよいかと。

違う夏」も、6人になったAqoursのこれからの活動時間とも、より未来にメンバーそれぞれが重ねていく人生とも取れます。

 

 

 

ではサビです。

パラレル

いまの僕らで 良かった

ほかの選択肢 だったら

ここで一緒に

笑い合えなかったかも

「パラソル」「パラレル」の言葉遊びが可愛いですね。

冒頭で紹介したパラソルに引き続き、パラレルも分解してみましょう。これは「para (並んで) + allelos (互いに) 」からきているようです。要は、互いに交わらぬよう並んでいるという「平行」「並行」の幾何学的構成を説明しています。

 

3人は、「ほかの選択肢」を選んでいたパラレルワールドに思いを馳せます。

アニメを思い返しても沢山の「もしも」が考えられます。

 

数々の成功や選択、抗えなかった挫折。あの時こうしていれば、あの時ああなってくれていたら。

 

酸いも甘いも噛み分けた末に辿り着いた、たった1通りの「いまの僕ら」。

 

いまの僕らで良かった。

 

そう感じられるのは「過ごした時間の全てが輝きだった」と気付いたからです。

 

 

 

数ある「ほかの選択肢」の中には、1つだけ特別な「選択肢」があります。

それは「梨子ちゃんが、千歌ちゃん曜ちゃんと出会わなかったら」という選択肢のことで、

3人が出会わない(互いに交わらない)」「並行世界」というパラレルのダブルミーニングがかかってくるのです。

千歌ちゃんと曜ちゃんが出会わなかったら、の選択肢も然りですが、アニメ中で出会いの詳しい描写がないので割愛させていただきました。

 

2期12話では、

私、自分が選んだ道が間違いじゃなかったって、心の底から思えた

ピアノから逃げた私を救ってくれた千歌ちゃん達との

出会いこそが 奇跡だったんだって

だから勝ちたい! ラブライブで優勝したい!

「この道で良かったんだって証明したい!」

今を精一杯、全力で、心から

と、まだ自信を持って「この道で良かった」と言うことができていませんでした*7。それでも、ラブライブ優勝さらに2期13話と劇場版を経て*8いまの僕らで 良かったと、笑顔でそう歌えるまでになったのです。

 

 

 

「ここで一緒に 笑い合えなかったかも」は、

文字通りに景色を想像するとカモメを眺めた三津浜で笑い合う3人が見えます。

しかし前後の繋がりを考えると、「ここ」とは「 (時間的) 現在」を、「笑い合う」とは「過ごした時間全てが輝きだったと気付くことで今を大切に生きられるようになった」ことを指していると考えるのが妥当です。ひとつでもほかの選択肢を選んでいたら「笑い合う」ことができなかったかもしれない。

1番サビの「楽しく遊んで」もこのように説明すべきだったかもしれません。

 

 

 

 

パラレル もしも、の答えは

波が さらって行っちゃったよ

いつかまた会えること

潮風が知ってる

 この読点に注目してください。このスペースには「もしも〜だったら」という沢山のifの内容が省略されていることは明らかですが、表記は別に「、」がなくて「もしもの答え」でも良いように思えます。

読点を敢えて挟む理由を探すなら、「読み手にifの内容を想像させるための釣り針」だったのではないかと、まんまと引っかかりながら思いました。

 

とにかく、「もしも、の答え」とは「パラレルワールドの私たちはどうなっていたか」であることに同意いただけることと思います。

 

 

 この箇所についても畑先生が言及されています。

2番の「パラレルもしも、の答えは波がさらって行っちゃったよ」で、千歌たちの心の強さみたいなものを表現しています。結局、もしものことを考えているとキリがないじゃないですか。つまづいた時なんて余計に。もしあの時、違う道を選択していたら、こんな悲しい想いはしなかったんじゃないか、とか。でもある程度の時間を経ると、``それは過去だよね。考えてもしょうがないよ'' と気づく。そして、それに気がつくと人は強くなる。2年生は今、そういう場所に立っているイメージですね。

 

さらに、とっきーさんの解釈を紹介します。 

二番はパート分けのせいか、千歌と曜、それを追う梨子という印象を受けました。 すると、頭の中で映像が作られていきます。 サンダルを脱いで先を歩く二人を追って、梨子もまた裸足で砂浜を駆ける。 二人の背中を見ながら、梨子は「違う選択肢だったらここで一緒に笑い合えてなかったかも」と空想した。 その『沢山のif』と『今』を比較して、「いまの僕らでよかった」という気持ちを感じた。 けれど、潮風が吹いて、波が足まできて、風の心地よさ、水の冷たさを感じた。 思わず二人から足元、そして海へと視線を移す。 今二人を追いかけて潮風と波を感じている自分は、空想でも妄想でもなく、れっきとした自分なんだと思えた。 波が空想や妄想をさらっていって、ただ純粋に「いまの僕らでよかった」という気持ちだけが残った。 梨子はそうしてふふっと笑って、また二人の元へ駆けていく・・・。 という妄想。(だれか漫画で描いてくれ・・・) だからこその「波がさらって」なのかなと思いました。

僕が感じた『Marine Border Parasol』の正体 - Message Bottle

 

2人の言葉から私は、「もしも、の答え」にもう一つの意味を見出しました。

それは「もしも、のことを考えることで生じた後悔や羨望」です ( "答え" という語を product という意味で捉えています. ) 。今更どうしようもないことを思い悩んで湧き上がった負の感情は、勝手に心の枷となって、今を大切に生きられなくなってしまう。そんなこと「考えてもしょうがないよ」と気付けば、心は自由になれる。さながら黒いものを波が洗い流したかのように。

 

自然と目線は上がる。

 

ああ、私は今を生きるんだ。

 

*9

 

 

 

「いつかまた会えること」を考察するには、怒涛の劇場版ネタバレをしなくてはいけません。もういいよね。 (いいの?) 

 

 

劇終盤。6人になったAqoursで初めて行う駅前特設ステージのライブを翌日に控えた9人は、最後にもう一度浦の星女学院へと足を向けます。懐かしさや想いを口々に言い合う9人。

ふと気付くと、まるで「おいで」と誘うかのように門扉が少し口を開けて待っていました。

 

微笑んで、門扉に手をかけ、優しく締める千歌ちゃん。

 

 

なくならないよ!学校も、海も。Aqoursも。

 

全部全部、ここにある。0になんかならないんだよ

 

(皆様ご鑑賞になられたことと思いますので、セリフを適宜脳内補完してください...)

 

ここ とはです。すべてのものは胸の中で生き続ける。

Aqoursが離れ離れになっても、心で繋がっている。

 

「どんな遠くへ離れてもきっと見える いつもの景色 こころのなかにしまってあるから」Next SPARKLING!!より。

 

心のなかにしまわれたAqoursは、いつでも顔を出してくれるわけじゃないけど、確かにそこで生きている。長い時間の先、思い返す頻度も情報量も下がっていく。記憶が薄れいったとしても、Aqoursが育ててくれた「自分」は無くなりません。

 

 

「どこでまた会えるか」「いつかまた会える」

少し期待を込めた、けれど「先へ進まなくちゃ」 。

 

いつかAqoursの記憶なんて薄れるくらい、「今」を大切に、いろんな経験を蓄積していって欲しい。スクールアイドルは彼女たちの人生を形作る沢山の経験のうちのたった1つにすぎない。でもやっぱり、忘れられちゃうのは哀しいな。

 

 

千と千尋の神隠し」の銭婆の言葉「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」を思い出します。

 

 

そうです。

今は思い出せないだけ。Aqoursの記憶とは「いつかまた会える」んです。 

 

 

 

 

 

 

 

劇場版のセリフも思い出せないだけ

 

 

 

Cメロいきましょう。

あの水平線を

また見たいよね

暑い夏を

熱く駆け抜けた

 「あの」と語るからには、少なくとも3人にはイメージが共有された特別なもののようです。

 

今までの考察と見立てを組み立てていきましょう。

 

水平線も水面の一部なので、キラキラとした輝きを持ちます。

少し違うとすればその輝きを「手で掬うことが出来ない」距離にあることです。

 

過ごした時間の一つ一つが輝きだったという気付きから、水面は「現在」であると言っていいでしょう。これは水平線も含みます。水平線も「現在」です。

 

さらにマリンカラーの絵。空は自由な未来を意味します。

絵を「空の青」「海のあを」に二分するのは、紛れもなく水平線ですね。

 

 

組み合わせると、「あの水平線」とは「未来に最も近いところにあり、手に届かない輝きを持った現在」とでも呼べましょうか。

一言で言い換えるならば「憧れ」でいいと思います。

 

目線を上げれば、手の届かないような遠くに、埋め尽くすようなキラキラがある。

あれはなんだろう。すくえばこぼれる水面の太陽とは違うのかな。

でも、あれは間違いなく水面だ。まぎれもなく私たちと同じだ。

 

 

 

 

 

 

 

これです。

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(ラブライブ! サンシャイン!! アニメ1期1話より)



 

そうです。μ's です。

千歌ちゃんはμ'sという「水平線」に憧れた。

言葉も引用しましょう。

そんな時出会ったの、あの人達に

みんな私と同じようなどこにでもいる普通の高校生なのに

キラキラしてた。それで思ったの

一生懸命練習して、みんなで心を一つにしてステージに立つと、

こんなにもかっこよくて、感動できて、素敵になれるんだって。

スクールアイドルって

こんなにも、こんなにも、こんなにもキラキラ輝けるんだって!

 

 

μ'sと出会い、μ'sに憧れたから、「暑い夏を熱く駆け抜け」られた。

 

 

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(ラブライブ! サンシャイン!! 1期1話より)

 

この笑顔の輝きを見てください。

輝きは、初めからあったんです。

 

 

 

 

 

この輝きに憧れた、二人の少女。

曜ちゃんと梨子ちゃんにとっては、「水平線」とは千歌ちゃんなのです。

 

本気なんだね。(よ っと!)

私ね、小学校の頃からずっと思ってたんだ。

千歌ちゃんと一緒に夢中で何かやりたいなって。

 

(梨子ちゃんのセリフ見つからなかった...。代わりに。)

高海さん、私どうしたらいいんだろう...?

何やっても楽しくなくて、変われなくて...

 

やってみて、笑顔になれたら、変われたらまた弾けばいい。

諦めることないよ。

失礼だよ... 本気でやろうとしている高海さんに

そんな気持ちで、そんなの失礼だよ...

梨子ちゃんの力になれるなら私は嬉しい。

みんなを笑顔にするのがスクールアイドルだもん!

 

 

また見たい」とは、μ'sに憧れたときのように「スクールアイドル活動を終えても、新しい憧れに憧れて、精一杯努力したい」だと思います。

 

以上、Cメロは「すべてのはじまり、そしてここから」を歌っているのでした。

 

 

 

 

 

 

セリフパートです。3人がアドリブで入れたそうですね。

共通することは「二人をしっかり見ている」言葉だということ。

 

まずは梨子ちゃんからです。

「すごい!二人とも!海の音が聞こえた!」

 

逢田さんは、海の音が得られた時を回想しました。

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(アニメ1期2話より)

 

 

 

 

続いて曜ちゃん。

「あっはは!千歌ちゃん、梨子ちゃん!早くしないと行っちゃうよ!全速前進ヨーソロー!」

 

めっちゃ斉藤さんっぽくてすき 。。。あとエコーがやばやば。。。 (考察しろ)

 

これはこけ。さんのツイートで尽きています。

 

 

 

 

 

 

大サビは1番2番と同じ歌詞ですので飛ばしましょう。

 

 

パラソル yeah!

パラソル yeah!

「もう一回!もう一回!」

パラソル yeah!

 

「3人で楽しげに」歌い上げられています。

ここまで読んで来れば、ル 、「パラレル = 考えても仕方がない」

と対比されるものであることがお分かりかと思います。

 

それにしても「もう一回!もう一回!」まで楽しく歌えることには最初は衝撃でした。普通なら「あと一回で終わってしまう...寂しい...」と思うところでしょう。

しかしながら、ここまでMarine Border Parasolの考察にお付き合い頂けたなら、

(涙を流しながらも) 笑って「パラソル yeah!して頂けることと思います。

 

 

 

「私、曜ちゃんと梨子ちゃんのことだーいすき!2人と出会えたことが、奇跡だよ!あはっ♡」

R.I.P. こり.

むりです。尊い

 

 

確認だけしておきます。

1期の「大好きだよ」(梨子→千歌) 、2期の「だーーーーーーーいすき!!」(曜→梨子)と「私も!」(梨子→曜) 、そして今回の「だーいすき!」(千歌→曜、梨子) で、

残すところは大本命「よう→ちかだーいすき!」のみとなりました。

 

 

 

 

 

そして最後には波のSE。寂寥感もありますが、エモさの余韻として最高です。

 

 

 なぜ、「Marine Border Parasol」?

なぜこのような曲名なのか?

信頼出来ると感じた「なぜMarine Border Parasol?」の答えはこの2つです:

 

  • 「マリ」を題名に入れたかった
  • 「パラソル (パラレル) 」をイメージしたかった

 

1つ目

  • 「マリ」を題名に入れたかった

は、tweet検索で見つけたあるツイートの意見です。

この気付きは脱帽ですね...。

劇場版のキーパーソンである鞠莉ちゃんの名前を曲名3曲ともに織り込んでいると。

3年生曲への織り込み方はまさに「予測不可能」でしたが。

 

 

 

2つ目

  • 「パラソル (パラレル) 」をイメージしたかった

畑亜貴先生のインタビューから感じたことです。

もしものことを考えてもしょうがないと気付き、人は強くなる」というメッセージを主題に据えたのではないでしょうか。

 

まとめ

 

Marine Border Parasolは、2年生の人間的成長を表しています。

 

その成長のキーワードは

・「飛び立つことは孤独じゃない」⇒「全部、心のなかにある」

・「もしも、を考えてもしょうがない」⇒「いまの僕らで良かった」

 

 

しかし何より、

「3人で楽しげに歌ってくれている」

ということが一番たいせつなんじゃないかな、と思います。

 

 

 

 

お粗末様でした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

ご感想・ご意見等ございましたら、お気軽にコメントまたは twitter: @ImCallinx2You までくださいませ。

*1:川面に映る月を掬おうとして死んだ李白の伝説みたいですね。ちなみに沼津市と友好都市提携を結んでいる岳陽市には李白杜甫も登った岳陽楼という詩の名所があるそうです。アキバドーム (東京ドーム) に隣接する小石川「後楽園」は、『岳陽楼記』の「先憂後楽」を出典としているそうです。岳陽市の紹介/沼津市 を参照。

*2:「岬」飛んでいくものとして印象的だったのは、2期13話での紙飛行機だと思います。またはそれを追いかけて行った千歌ちゃんでしょうか。

*3:沼津市 - Wikipedia を参照。

*4:黒澤ダイヤ」さんを主人公にしたのは、代々続く名家の出身として知識と矜持があり、そのような「変化」の歴史の言葉に重みを持たせるためだったのではと感じました。

*5:諸行無常」といえば、象徴的な「花」、そしてそれを名字に持った方がいますね。まったくの考え過ぎですが、、、サクラ - Wikipedia 。

*6:1年生組の歌う「ハジマリロード」も、諸行無常というか 、(仏教にはないそうですが) 円環的時間観というか、別れと新しい一歩の意味を「分かっている」感じがあります。しかし2年生との決定的な違いが「経験値の差」であることは歌詞から明らかです。

*7:梨子ちゃんにとってラブライブ優勝が「目的」ではなく自分たちの歩みを肯定するための「手段」になろうとしていることは特筆すべきでしょう。

*8:Marine Border Parasolを歌ったのは劇場版より後だと考えています。

*9:「もしも、の答えは 波がさらって行っちゃったよ」の箇所が量子力学観測問題っぽいなーと思ってたんですが、考察を進めるうちに全然そんなことないやと。観測問題 - Wikipedia